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イルカ漁について [ニュースと新聞]

前に会社ブログで書いたものの途中までを流用します。

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小学校の中庭にいきなりごろんとイルカの死体が横たわっていました。
不思議な情景でした。
ありえない情景でした。

記憶では4年生か5年生の頃だったと思います。
たまたま通りがかって気づいた生徒数人がそのまわりを取り囲んでいます。
ぼくもそのうちのひとりです。
そこに校長先生と、誰か知らないおっちゃんが話をしながら連れだってやってきました。
おっちゃんはおもむろに、ノコギリ(的なもの)でおもむろにイルカの解体を始めたのです。

このインパクト。

何が起こっているのかわかりませんでした。
なぜ学校でそんなことが起こっているのかわかりませんでした。
校長先生は生徒たちに、よく見ておけと、にっこり笑いながら語りかけました。

昔の話です。
もし、今どこかの学校で同じようなことをしたら、問題になるかもしれません。

イルカはたぶん、給食のクジラ肉として生徒たちに供されたのでしょう。
イルカとクジラは同じ生物だということなので味も同じでしょう。
今から考えると、おそらくはそういうことだったのでしょう。

校長先生はなぜ生徒たちを追い払おうとしなかったのでしょう?
「ブタがいた教室」という映画がありました。
観ていませんが、なにかが残る作品のようです。
ぼくらの校長先生も、なんらかの教育的意義を感じたのでしょう。
だからこそ、あるいはトラウマになるかもしれないそんなシーンをあえて生徒たちに見せたのでしょう。

ちょっとはトラウマになりました。

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さて、ここからは現在の話。

IMG_5751.jpg静岡新聞2010.08.27朝刊。
静岡県伊東市いとう漁協は伝統の「イルカ追い込み漁」を今年も実施する方針。
映画「ザ・コーヴ」等のこともあり、批判を浴びもしているが、「日本の食文化や伝統漁法を若い世代に伝えるのは大切なこと」、「人道的な観点から、操業方法や捕殺方法は改善してる。魚の資源量を保つためにも、イルカ漁は必要」と同漁協は話している、とのこと。

ことの善悪を語ることのできるほどしっかりした考えは抱いていませんが、個人的にクジラ肉は欲していないので、イルカ漁を守っていく必要を感じてはいません。
とはいえ、イルカ・クジラはダメで牛・豚などの家畜や、ジビエ系の動物などはOKという考えにもなりきれません。

ただ、食べるために殺すということには、なんらかの思いは発生するだろうとは考えます。
おそらくは、ほとんどの場合、周囲でうるさく言っている人よりは、殺している漁師たちの方が、生命の大切さを感じる心や、感謝の念は、より強く抱いているのではないだろうかとは想像しています。
殺さないとわからないとは言わないのですが。
「ヒト」という、いろいろ思い考えることができるようになっている種にとって、食べるためにとはいえ、殺すというのは、ある意味、強烈な「関係」であるようには思えます。
そういう「関係」はなかなか得られないものではあるでしょう。

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コメント 3

モルディブTシャツ

こんばんは。

とても難しいテーマを、書かれていて、尊敬しています。

全ての情報を把握していないので、何とも言えないでが、

イルカセラピーで、何人もの人が助けられているので、
イルカは、牛、豚と比べられないと、自分に言い聞かせて
判断をしています。





by モルディブTシャツ (2010-09-02 18:47) 

森山巧

コメントありがとうございます。

ぼくじしん、あまりしっかり判断できないテーマなのです。
そのときにより、人の意見により、グラついたりしています。
だから、どうしても曖昧な表現になってしまいます。

基本的に、食べるためとはいえ「できるだけ」殺さないでいたいという意識です。
が、殺す側の「殺さねばならない」という感覚の生まれる理由を考えているところです。
by 森山巧 (2010-09-03 13:03) 

森山巧

ところで・・・

ふだんはあんまり難しいことは書きません(たぶん)。
たまーに、まじめなことをやってしまいますが。

ギャグ系でいきたいですが、そこまでのセンスもないので、わりと中途半端ですねえ。
by 森山巧 (2010-09-03 13:07) 

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