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「エディメルクス」という名の自転車 [自転車]

この記事は少し変更があるたびにその日付に変更していきます。




あるとき(数十年前)久しぶりに実家に戻り、久しぶりに愛車で走ってみようとしたら、自転車が見つからない。
「自転車は?」と母に聞いたら、
「ああ、あれは捨てた」

今回はそんな末路を辿った自転車について。
捨てられなかったら今でも乗ってたでしょうからブランクをはさみつつ、ほぼ40年以上乗ってる自転車ということになったでしょう。ザンネン。まあ、フレームにガタがきてなかったらですけど。

その自転車には「エディメルクス」という商品名がついていました。たぶんナカグロ(・)のないエディメルクスやったと思います。
知っている人は知っているでしょう、ミヤタのスポーツ車です。
知っている人は「ああ、あのメタリックオレンジの」と思うでしょう。少し高級なタイプでした。
でも、ボクのエディメルクスは違います。そんなに高級なタイプではないです。
メタリックオレンジのラインナップが出る数年前、おそらくシリーズの最初に出たマシンだと思われます。
漆黒つや消しのボディでした。後のカタログにも載っていない。
そのカタログにはたしかに黒いマシンもひとつだけあったようなのですが、ボクが乗ってたのとは仕様も価格も異なっていたようです。
ジャンル的には当時「快走車」と呼ばれていました。

ナカグロのある「エディ・メルクス」というのは当時ブイブイいわせてたロードレースの名選手の名前です。
ツール・ド・フランスで何連覇もしてた選手です。
スーパースターです。王・長嶋みたいなもんでした。
当時日本ではドロップハンドルの自転車に乗ってると「競輪の自転車」と呼ばれてましたが、そんなロードレース辺境の地でロードレースやってる少年が唯一名前を知っている海外の自転車選手って感じでした(日本人の選手ならたしかロードレースではなかったですけど長義和さんなんかが有名でした)。

高校生の頃、ロードレースやってました。大学に入る頃までやってました。ケガでまともに走れなくなるまで。ケガは完全には治ってなく、実のとこいまでもちゃんとは走れません。
かつてレースやってたわりには今ロードバイクに興味は持てません。かつてのロードレーサーはほぼ例外なく美しくてうっとりさせられましたけど、今のロードバイクはあんまり美しく見えません。物欲がかきたてられない・・・
強いて言えば今のロードバイクは子ども用自転車に見えるかなあ。

レースに参加はしていましたが、ボクの目的は自転車旅行でした。レースに出ていたのはそのためのトレーニング。
当時はママチャリではないですがスポーツ車とも言えない、中学生の頃から乗ってたセミドロップハンドル5段変速の自転車でレースに参加してました。
それでもマシな方。ママチャリというか実用車で参加してた人も多かったです。
そんな時代。
いいマシンなんてそうそう買えない。みんなビンボやったから。

「ツール・ド・○○」なんてタイプのレースは国内にはなく、高校生の部活や実業団のレースでもおそらくは同じコースを周回し続けてたんではなかったでしょうか。

そんな中でちょっとはマシな自転車が欲しいなあと思ってしこしこバイトして3万8000円くらい貯めたところでした。
最終的にめざしてる自転車は東叡社のデモンタブルって輪行向きランドナー。フレームを分解できるのが特徴。完全オーダーメイドで、だいたい80000円台からでした。
めざしてはいたのですが、まだ成長期でオーダーメイドは怖いってのもありましたし、まだまだボクの技術も体力もその自転車に乗る格ではないなあと自覚はしてました。
いい自転車に乗りたいならそれなりの資格が必要です。
なので、次善の選択として大阪の自転車ショップ「トモダ」が出していたオリジナルのセミオーダーの自転車、たしか名前は「ジャーニィ」やったと記憶してますが、それを買おうと考えてました。それがだいたい5万円くらいやったと思います。これでもいくらかオーバースペックやったと思いましたが、まあそれくらいの方がいいだろうと。あとしばらくバイトに精を出さなあきまへん。

トモダと言えば、当時は「サイクリングショップ・トモダ」と言ってたような記憶がありますが、ちょうど桃谷駅前に支店ができた頃でよくそこに行きました。
店員さんとも顔なじみになったのでとても楽でした。顔なじみの店を作るのはいいことです。
トモダが出してた「ニュー・ワールドパーツ」というカタログはボクのバイブルで、最初から最後まで繰り返し繰り返し眺めては次の改造をどうしようか考えていたもんです。パーツや工具の用途や使い方、メンテナンス方法や自転車の組み方なんかまで載ってました。スポークの組み方なんかも。
以下の改造はだいたいその「ニュー・ワールドパーツ」で探して、トモダの店でパーツを購入して、参考にしながらやったものです。
当時は通販なんてのはほとんどなかったので、そのカタログ自体で売ろうとしてたのではなかったのでしょう。専門店としての矜持のようなものがあったのだろうと思います。一般に馴染みのないスポーツ系自転車(特にパーツ)についての啓発目的もあったでしょう。あくまでも自転車界のために、ユーザーのために発行しようという意識かと思います。もちろんひいては自分の店のためにもなるはずだというココロはあったでしょうけど。
当時はパーツ屋というイメージが強かったですが、最近行ってみると支店はなくなってたようでした。いまだ本店はありましたが完成車がたくさん並んでいて普通の自転車ショップという雰囲気でした。しかたないこととはいえちょっとガッカリした気分も覚えました。

閑話休題。
自転車が欲しいと悶々としてたそんなある日、「サイクルスポーツ」誌の表2から表4までの広告のどれか忘れましたが、かなり大々的な場所での広告に「エディメルクス」という自転車の広告が載っていました。
今すぐ買える価格!!そう、3万円台やったのです。
気分的にはちゃんとした自転車が欲しいとかなり飢えた状態にまで達してたので「これやっ!!!」となってしまったのでした。
その雑誌片手に近所の自転車屋に走りました、文字通り。
「お、お、おっちゃん!!この自転車取り寄せてんかっ!!」
で、数週間後めでたくマシンを嬉々として手に入れたのでした。
ボクが自転車に求めていたものからするとエディメルクスというマシンの選択はもしかしたら間違えていたかもしれません。でもとても嬉しかったのでした。

かなり長いこと乗りました。14年間ほどでしょうか。

今日はかなり長くなりそうやなあ。
前述のとおり今はもう手元にないので記憶だけで書いていきます。うろ覚えのところも多いです。

重量
重さは広告ではたしか13キロ台やったと思います。
13.5キロよりは重かったような。
当時一般的に入手できる自転車としてはすごく軽い部類でした。

フレーム
フレームは本体、フォークともハイテンション鋼。
当時の憧れはクロモリ(クロムモリブデン鋼)でしたが、さすがに高額で、少なくとも高校生の手はなかなか届きません。大人でもなかなか。
実はクロモリのもう一段階上にさらに「レイノルズ531」という素材がありました。マンガンモリブデン鋼だったでしょうか。そいつはもう究極の憧れでした。ま、いずれにせよ鉄は鉄に違いはないんですけどね。
それはともかく、ハイテンションでも当時としてはかなりいい方です。だいたいの自転車はただの鉄。

けっこうタフなフレームで、2度ほどそこそこの事故を起こして、2度とも前リムはぐにゃっ、ぼこっと大破したりしてたのですが、フォークもフレームもほとんど歪んでませんでした。2度目の事故ではボクの膝も大破しましたが。
分析したらもしかしたらフレーム内部に亀裂などはいっていたかもしれませんが少なくともまったく何も感じませんでした。
案外クロモリなんかの方が肉が薄くて弱かったりしたかもしれません。クロモリフレームって、ヘタすると指でつぶせるんじゃなかろうかというくらい薄いことがあるくらい。それでも大丈夫なほど強いからこそ軽くできるんですけど。そしてその分乗り心地は柔らかくなるかもしれませんね。

フレームの色は黒のつや消しでした。
焼き付け塗装と書いてあったと思います。
すごく丈夫な塗装で、色を塗り替えるために(当時の改造で色の塗り替えは当然でした)、ペーパーで塗装をはがそうとしても少し削れるだけでほとんどはがすことができませんでした。
なので、途中であきらめて黒色の上に直接スプレーで塗り替えました。
塗り替えた色は水色。
バーテープのビリジアンと合わせて長いことボクのトレードカラーでした。

タイヤとリムとスポークとハブ
車輪は27インチでした。当時普通に店で買える自転車にそんなサイズはなかったです。ミニサイクルも出始めてたかどうかという頃なのでほぼ26インチ。あとは子ども用の24インチくらいやったでしょうか。
エディメルクスは名称からしてもいちおうロードレーサーもどきを作りたいって感じやったんでしょう。だいたい今で言うロードバイクのイメージですね。
タイヤの幅はシブイチでした。1 1/4インチですね。見たこともない細いタイヤ。こんなんで走れるんか?

はっきり覚えてませんが、当時のロードレーサーは1 1/8インチのチューブラタイヤを履いてることが多かったかと思います。今はチューブラではないけどこの幅のタイヤを履いたマシンが普通にあって、ボクもそれに乗ってるんやから隔世の感。
当時のボクのイメージではロードレーサーの条件は、(1)ドロップハンドル、(2)10段変速以上、(3)チューブラタイヤ、(4)車重12kg台以下、でした。今のロードバイクはロードレーサーのルック車って感じでしょうか。チューブラタイヤを履いてないので。

シブイチはさすがに悪路はそんなに得意でない感じでした。その辺はボク本来の目的には合致しないところでした。
接地面は黒色で、サイドが生ゴムがむき出しになってるような飴色でした。それも珍しいタイプでかっこ良かったです。

それまで乗ってた自転車とは走行距離じたいも違いますがパンクはそれなりの頻度で発生しました。
精神的にゆとりがあればちゃんと修繕しましたが、旅のさなかでタイトな予定の日なんかやと少しでも時間を短縮したくて布製のガムテープを貼ってすませました。その日の行程くらいはなんとかなるもんです。で、宿に着いてから本格的に修理。

パンクの原因になった異物を見つけることができずに2度3度とパンクしてチューブがボロボロになることもありました。ゴムに埋まってることもある異物は確実に探し出すようにしましょう。チューブに穴があいてるあたりに対応するタイヤのゴムに生じてる傷という傷は開いてみましょう。裏側から指先で探るのも手ですね。見つけたら引っこ抜くために先っぽがピンセットみたいに細くなってるペンチ類があると便利です。

特に何も踏まなくても、だいたい2000〜4000キロほど走るとチューブがバーストするので交換してました。この場合は修理できるレベルではありません。裂けてますので。あるときのバーストで黒い部分と飴色の部分の間が裂けたのでほぼ同タイプのタイヤに交換しました。
あ、チューブは英式バルブでした。当時すでに仏式バルブのチューブはあったような記憶がありますが、ホンマモンの競技者以外では入手することはなかったでしょう。ボクらは所詮シロートレーサー。

リムは鉄製で断面としては箱形のタイプだったと思います。
こいつはあるとき事故ってへしゃげたので前後輪とも交換しました。
リムはスポークのつく穴に向かってアールがかかってるタイプ。アラヤ製でアルミ合金やったと思います。ちょっと風情のあるタイプ。
スポークは端っこが普通の直径で中央が細くなってるタイプ。少しでも軽くということと、風の抵抗を減らすためののものやったでしょう。どこ製やったかなあ、やっぱりアラヤ?

このとき初めてホイールを組みました。
前述の「ニュー・ワールドパーツ」を参考にしながら。
前後輪で合計8時間かかりました。その後はもう少し短い時間で組めるようになりましたが。
いずれにせよふつうのニップル回し以外の工具も、専用の台も持ってなかった(台代わりに自転車を逆さにして作業しましたが、たぶん普通のユーザはだいたいそうしてたでしょう)ので、自分のも含め何本も組んだヤツが常にフレもなく中心線も問題なかったというのはけっこう運がよかったかもしれません。

ハブはナットで留めてましたが、輪行のときめんどくさいので全部を蝶ネジに換えました。今見かけないですね。でも当時はわりと普及してました。クイックレリースはすでにありましたが高額で素人には手がでないものでしたからシロートは蝶ネジ。
強度的に疑問もありましたが、問題が発生したことはありません。蝶ネジをより強く締めるための単純な器具もありましたが、ボクは使ったことはありません。

マッドガードはついてました。アルミのが。いわゆるフルフェンダーってヤツ。
MTBなんて車種もなかったんであの中途半端な感じの泥よけもなかったです。
ただショートサイズのはありました。重量軽減のため普段はショートのを使ってましたが頭から背中にかけて襲ってくる泥ハネを防いではくれません。せいぜいブレーキを守ってくれる程度。
なので雨のときは元々ついてたのに付け替えてました。
競技のときはショートのも外してました。

ハンドルとステム
ハンドルはドロップハンドルでした。さすがに当時でもドロップハンドルはめちゃくちゃ珍しいってほどではなかったです。でも多少は珍しかった。
大人たちからは危険やと言われることが多かったです。ま、危険は危険かもしれませんね。だからセミドロップなんてハンドルが産まれたのでしょう。あれはけっこうよかったなあと今となっては思います。わりと思い通りに操作できた。プロムナードハンドルを裏返したらセミドロップにならへんやろか?一回試してみよか?
ドロップハンドルを裏返してなんかヘンなアップライト用ハンドルとして使ってる人もけっこういましたね。
バーハンドル(棒っぽいヤツ)なんてものは存在してませんでした。単車にはそういうのがあったかな。

バーテープはビニール製(だったと思う)の黒いヤツ。さすがにこれはナンボナンデモと思って早々に明るいグリーンのコットンにしました。
フレーム色水色との組み合わせは当時テレビ中継で見たテニスのウィンブルドン選手権のエンブレムみたいのがきれいな青と緑色の組み合わせやって、それに影響されたかも。と後に考えたりしました。

当時のバーテープは革製かコットン製かビニールかそんなとこやったでしょう。
今のみたいにフカフカのテープはなかった。ハンドルの金属の堅さを感じつつ握ってたもんです。





ハンドル、ステムともに素材はたしか鉄でした。
ステムは今で言うクイルステム(あるいはスレッドステム)でした。当時はそれしかなかったんですけどね。
これらはちょっと錆びてきた頃にアルミのに交換しました。
それがまたどちらも美しい光沢と美しい曲線を持つタイプで、走りながらときどき眺めてはうっとりしてました。

昔の自転車ではアーレンキ(六角レンチ)を使うパーツってほとんどなかったけど今はかなりの確率でアーレンキ使うパーツが多いように思います。その方がラクでいいのだけど。
昔のでは比較的高品質のパーツだけがアーレンキを使ってたかなあって感じ。元のエディメルクスにはまったくそんなパーツは付いてなくて上記のハンドルが初めてやったと思います。
もうひとつはセンタープルブレーキの千鳥を滑車タイプのものに交換したのだけどそいつのブレーキレバーからのワイヤを固定する部分で細〜いアーレンキを使ってたと思います。それだけ。

今、よくあるアヘッドステムって言うんですか、ボクのマシンのひとつもそれですが、あれはなんかあんまり美しくないです。いつかクイルステム(あるいはスレッドステム)に交換したい。でもたぶん見た感じそのままでは無理そうですね。ヘッドそのものが異なるようです。けっこうな改造が必要になるのかもしれません。あんまり大層なら諦めましょう。
それでも、クイルステム(あるいはスレッドステム)は探してるんですけど、以前のような美しさを感じるのをまだ見出してないです。それでもアヘッドステムよりは美しい。
ステムはとりあえず比較的イメージの近いヤツを下に。でも、ハンドルはまったく見つからない。




ブレーキとブレーキレバー
ブレーキは前後ともダイアコンペのアルミ製センタープルブレーキやったと思います。たしか。
これは性能よかったです。調整もラクやし何の不満もありませんでした。
が、当時はボクも高校生。かなりスピードを出してましたから自転車で最重要の部品としてブレーキを位置づけていました。いつでも即止まれなアカンと。

今はもう、ブレーキなんてまともに使わないような走り方です。10キロ走って一度もブレーキレバーを操作しないことすらあります。止まるというよりはただスピードコントロールするためだけの機能。せやから制動力そのものはそんなに強くなくても大丈夫です。むしろ制動力が強すぎてロックする方が嫌い。

ともあれ、当時はブレーキが効かなければイノチが危ないという走り方でしたから、いろんなブレーキを試しました。
同じダイアコンペのサイドプルブレーキ、今はキャリパーブレーキというとだいたいこれをさすようですね。センタープルブレーキよりちょっとだけですが軽くなるので競技に出るときには使ったりしてました。がセンタープルに比べていくらか制動力が落ちるのと、機構上どうしても本体が傾き調整がめんどくさかったのでメインブレーキとしては使いませんでした。当時の最高峰カンパニョロのサイドプルブレーキは美しかったですが、ほぼ車体と同等の価格でしたのでとてもじゃないけど手に入れられるとは思えませんでした。ダイアコンペのはとても安かった。1割以下だったでしょうか。
今よくあるVブレーキは一見カンティレバーブレーキ(カンチレバーブレーキ)に似てますが、機構上はサイドプルブレーキに近いように思えます。ちょっと調整がめんどくさい。

最終的にはカンティレバーブレーキにしました。今はカンチレバーと言うようですが当時はカンティレバーと呼んでました。
ボクのマシンにはカンティレバーブレーキを取り付けるための台座がありませんのでフレームに取り付けるための鉄製のバンドと台座がセットになってるタイプのを入手して使ってました。
これに決めたのはレバーの引きがすごく軽くなったのと、やはりその制動力でした。ピッ、と瞬間的に止まれる感じでした。カンティレバーブレーキは効かないというのが今の評価のようですが、当時はそんなことない印象やったなあ。

調整もとても簡単でよかったです。

当時のブレーキの効きのイメージとしては・・・
バンドブレーキ < サイドプル < センタープル < カンティレバー
でした。右にいくほどよく効く。今とはたぶんイメージ違うようですね。

あまり使われてなかったものに、ドラムブレーキ、ディスクブレーキ、コースターブレーキ。
ドラムブレーキとディスクブレーキはバンドブレーキよりは効くイメージ。
ディスクブレーキは最近の方がちょくちょく見かけますね。たぶん進化してるんでしょうね。見た目が昔のより複雑です。
初めて見たハブダイナモを「あ、ドラムブレーキ」と思ったのでドラムブレーキはあんな感じのヤツです。似たような形状のブレーキらしきものを今でも見かけることはありますが、当時と同じ構造なのかどうかはわかりません。
コースターブレーキをボクはよく知りませんが、ボクらより少し前の世代にとってはわりと一般的やったそうです。父親なんかは使ってたそうです。ペダルを後ろに回すとブレーキがかかるタイプですね。
道交法には違反してないらしかったんで一度コースターブレーキの自転車を作ってみたいなあと考えてました。慣れるまで戸惑いそうですが、慣れたらけっこう快適なんじゃないかと想像してて。
調べてみたら今でも存在はしてるそうですね。
サーフボードを片手で抱えるかもしれないということを想定しているビーチクルーザーなんかで採用されているようです。ちょっと関心。

ブレーキレバーはドロップハンドルなのでそれ用でした。補助レバー付きのタイプ。
メインレバーはドロップハンドルが前に曲がり下に向かって降りていくあたりに取り付けてあって、ハンドレストでもありました。
今よく見かけるのは(ボクのマシンもそうですが)レバーの台座がほぼ前方に突き出しているくらいの角度ですが、当時は斜め45度くらいに傾げている感じのが普通で上体もその分起きる感じになったでしょうか。下ハンだとレバーに指は届きにくいくらいの角度。

直付けの補助ブレーキレバーがそこからハンドルのフラット部分まで伸びていました。
補助ブレーキの機構は、メインレバーの開く部分に金具を噛ませてあって、補助ブレーキレバーを引くとその噛ませた部分がメインレバーを操作するという形でした。今一般に売られているタイプの補助レバーとは少し異なりますね。探してみると今でもそういうタイプはあるようで、いつかこのタイプに付け替えてみようかなと思ってます。



でも、当時はまだ腰も痛めてへんかったし高校生で体力も有り余ってたからずっと前傾のままでも全然平気やったし、こんなヘンなのいらへんワと他のタイプに交換しました。
説明しにくいんやけど、レバーの開く部分が横に回転させることができて、普段はちゃんと閉じて使うんやけど、そこが左右に動いて、そうすると普段より余計にレバーが戻るようにできる機構でした。うーん、言葉だけでは理解でけへんやろけど、要は、ワイヤーを外しやすい構造になってたのです。始終改造やらパーツの取り付けをやってたボクとしてはなかなか便利なのでした。

そうそう、センタープルブレーキですのでワイヤーで引いてました。
なんてわざわざ書くのは当時はまだブレーキの力の伝達に細い金属の棒を使ってる自転車も多かったから。金属の棒を何カ所か関節みたいな感じでつないで動かしてたのも多かったから。
そう書いただけでは知らない人には見当もつかないとは思いますが。
あれがまたよく外れてそのつどつなぎ直さないといけなかったんですねえ。
でも金属の棒なんかでよくもまあそんなことができてたもんです。

ついでに言うとその手のブレーキのブレーキレバーもまたただの金属の棒だったりしました。なんの形も整えてない。ホントに棒。
でも意外に使い勝手はよかったりして。

サドルとシートポスト
サドルは、今では珍しい革製でした。当時は普通だったと思います。型くずれしないようメンテナンスには注意を払いました。
今のスポーツサドルよりはちょっと幅広ですがママチャリや実用車ほど広くはないという感じでした。
バネはついてませんでした。
このサドルは気に入ってたので取り替える気はありませんでした。

サドルの後ろ側にはサドルバッグなどを取り付けるための金具がついてました。
ボクはフロントバッグも使ってはいましたがサドルバッグ派で、大きめのを付けて長期の旅をしてました。
最初その金具には簡単な工具セットがゴムっぽい小さなバッグに入ってました。ゲンコツレンチなどひとつであれこれに使えるタイプの適当なのがいくつか入ってました。あとパンク修理セットと。
この自転車を手に入れた頃は豊中市の蛍池で暮らしてました。伊丹市にはそれなりの自転車屋があったので、ときどき当時の大阪国際空港(伊丹空港)の下を走ってるトンネルを抜けて通いました。そこで携帯工具セットが安く売りに出されてたのでそれを買って補充・差し替えしました。
その工具は今でも残ってて使ってもいますが、「MAFAC」という刻印が入ってます。

シートポストは鉄製だったと思います。当時はシートピラーって言うのが普通やったと思います。
これはわりと早いうちにアルミ合金製のに取り替えたと思います。
当時は規格なんてほとんどなかったので(いや、規格が少なかったので、かな?)、どの部品もそうですが、「それ」を買うとまずサイズは問題なかったです。だから「それ」を買うとそれでOK。今はけっこうたいへんですね。使えるかどうか相当入念にチェックしとかないと不幸な目に遭いそうです。シートポストみたいな単純なパーツですら。

ディレイラーとギアと変速レバー
フロントディレイラーはメーカーは覚えてないです。
羽型で銀色の鉄板を二枚並べただけのような愛想もなにもない感じでした。
いつかもっと美しいのに交換しようと考えつつ、機能的になんの不満もなかったので結局そのままで終わりました。

リアディレイラーはシマノやったと思います。カシ、カシと素早くスムーズな変速をしてくれて全く不満はなかったのでやはり交換せず終わりました。
ただ予定として、登り中心の走り屋だったボクとしてはリアのギアに特大のを一枚入れようと思ってたので、それをやるとディレイラーのキャパシティが足りなくなり、当時はそのギアを使えるほどのキャパを持ってたディレイラーは一般に入手できるブツとしてはサンツアーの腕の長いヤツだけだったのでそいつに交換するつもりはありました。

変速レバーは最初どんなのがついてましたっけ、まったく記憶がありません。
この自転車のフレームは何かの台座なんてのはいっさいありませんでしたので、たぶん金属のバンドでダウンチューブなりに前後のレバーを並べて付けるタイプやったんとちゃうかなあと思います。
記憶にないくらいなのでこれはかなり早いうちに交換しました。
ドロップハンドルのバーエンドに付けるタイプの小さなレバーで、サンツアー製やったと思います。
今みたいに段ごとに設定されているのではなく、ラチェット式でフリーな感じのやつです。当時はそういうのしかありませんでしたが今で言うとインデックスタイプではなくフリクションタイプってことですね。
それに慣れきってたのでインデックスタイプはあまり好きではありません。自分で勝手に決められる方がラクでいいなあと思います。慣れたら速く変速できるし。調整もラクだし。

最近では変速機は必要ないなあと思ったりしています。
「変速」とは言いつつも、実際は速度を変更するためのメカではありません。
おそらくは回転数を一定にするためのメカだろうと思います。
「変負荷機」という感じでしょうか。まあ、「変速機」の方がいいネーミングですね。
どんな状況でも同一のペースで。結局、それが最終的な速さにはつながるでしょう。
そのための微妙な調整ができる人はリア11段×フロント3段とかにすればいいとは思いますが、普通の人は正直3段、多くて5段あれば充分だと思います。

単純な数字にすると、一番重いギア比を3にし、真ん中を2、一番軽いギア比を1にするのでいいかな。これで道路をそこそこの速度で走ることもできるし、ほぼどんな急坂でも走れます。が、このままだと段差が大きすぎて脚痛めるかメカ痛めるかしそうなのでそれぞれの間のギア比も作っておきたいところ。2.5と1.5。これで5段。やっぱり5段で充分だなあと。

じつは個人的には最近はそれも必要なく感じてきました。自分にとって充分軽いギア比の構成にして、平地でも坂でもゆっくり同じペースで走ればそれでいいので。まあその程度は今でもできますので。
強いて言えば、イザというときのための、平地は走れないくらいの超軽いギア比も欲しいとは思いますけど。

そもそも速さということに関しては11段変速が5段変速より速いということはおそらくないでしょう。問題はギア比なので。
もっとも、11段変速の最新のパーツの方がレトロな5段変速のそれよりは性能自体が高いだろうから、結果的に11段変速の自転車の方が5段変速の自転車よりは速いでしょう。でも今の技術で最大のギアと最小のギアの歯数が同じ5段と11段を作れば、さほど差は出ないでしょう。33段の微妙な調整をせなアカンほど人体は微妙じゃないんじゃないでしょうか。チェーンを厚くできるとかメカ的な安定性の面で5段の方が速い可能性すらあるのでは?
もちろん、道を走る用途の自転車でシングルスピードの場合、ひとつのギア比ですべての状況をまかなわなければならないのでギア比自体が低くなりがちでしょう。ゆえに同じような車体の仕様ならシングルより多段変速機構のついてる自転車の方が速く走れるギア比を持っているとは思います。

ともかく、変速機は便利ではありますが、それのおかげで速く走れると思っていてはアカンと思うのではあります。要は人(エンジン)の問題なんですけどね。

えーと、かなり脱線してしまいましたが、チェーンは鉄製でした。
かなり走った頃ステンレスで銀色のチェーンに交換しました。
錆びる部品を極力減らそうという意識です。メンテナンスフリーを狙ってました。
かなり長い距離を走りましたが使ってる間ことに問題は発生しませんでした。
最近はステンレスのチェーン、見かけませんね。なんででしょう?

クランクとペダルとボトムブラケット
クランクは鉄製だったと思います。当時から持ってる工具を見た限りではクサビで留めるタイプではなくネジで留めるタイプだったようです(コッタードではなくコッタレス)。
どんなのだったかはっきり覚えてませんが、最終的に鉄製の部品はほとんどなくしたはずなので、ここもアルミ合金製にしたはず。
当時クランクセットという販売方法は記憶にないので、フロントのギアは元々のヤツそのまま使ったんやないかなあと思います。

ペダルも鉄製だったと思います。
トゥークリップとトゥーストラップを付けてました。ストラップはゆるゆるでいつでも足が抜けるようにしてましたが登りではそれでけっこう役に立ちました。
クリップはペダルに正しく足を乗せる目安になりました。こんなつま先で漕ぐ感じなのが本来なのかぁ、と最初は驚きました。

あるとき下りを猛スピードで降りてたときカーブでペダルの下側の角が路面に当たって派手にコケてしまったので、もっといいのないかなと探しました。で、上から見たら端っこが円形になってさらに下側の角っこを削ったような形のに交換しました。少しはマシにならへんかなと。
アルミ合金で三ヶ島製やったと思います。
このペダルはあるとき盗まれましたので、ほぼ同じタイプのをまた購入して付けました(少しバージョンアップしました。悔しかったので)。
そのとき実は車体そのものが盗まれたのですが、必死で探してさほど遠くない場所で発見しました。が、ペダルだけ外されていた。このマシンはつごう3度盗まれましたが、3度ともなんとか車体自体は発見できました。同じヤツが盗んだのかどうなのかわかりません。鍵(チェーンロック)はかかったままでした。

登りは基本ココロの問題で、下りはセンスと度胸かなあと思います。でもボクのような山屋は同じだけの下りも経験するのでそれなりにスキルは上がります。
ボクは下りでもペダルを回します。後輪には常にエネルギーが伝わっていないとコントロールしにくいというのが持論で。ですが、上のコケかたをしてからはさすがにちょっと怖くなって回さないようになりました。でも、慣性だけじゃあ走ってるうちに入らないよなと3ヶ月くらいしてから根性出して再度回すようにしました。車体を傾けたら簡単にペダルが接地するということは学習しましたのである程度注意は払うようになりましたが。
とはいえ、この後も下りコーナーで路面をこすることは結局たびたびありましたが。
あるとき肩が路面に当たったことがあってさすがに驚きましたが。そのときはコケませんでした。道の状況とかさまざまな要因が重なってそんな事態が偶然発生したのかなあと思います。

ボトムブラケット部分は特にいじりませんでした。が、今でもそうですがだいたい2000キロ〜3000キロも走るとガタというか引っかかるような感じがして不快になるので、ベアリングだけは何度か交換したでしょう。中の太いシャフト(鉄の棒)は交換した記憶はありません(・・・したかも?なんかあのシャフトだけをしばらく持ってたような気がする・・・。ちょっと記憶があいまい)。最終的に輪っかにボールが固定されているタイプのを使ってたような記憶。あるいはそれはヘッドパーツやったかもしれません。ここも記憶があいまい。

キャリアとライト
フロントキャリアはついてました。鉄製やったと思います。
当時、サイクリングと言えばフロントバッグ。フタの上に透明な地図を入れる部分があるタイプがほとんど。そういうタイプのバッグ用のキャリアだったでしょう。
ボクもフロントバッグを使ってはいました。キャンパス地が好きでしたが、あえて安っぽいビニール製のにしました。中のものが濡れないように。案外丈夫ではありました。
いずれにせよ、フロントにそこそこの重さがあるとハンドル操作がしにくくなりますので最終的には上の方にも書いたようにサドルバッグメインになりました。

リアにキャリアがあったかどうかは覚えてません。たぶんなかったと思います。

フロントキャリアには大きなライトが付いてました。乾電池で光る懐中電灯タイプでした。銀色の金属製でした。
上から見たらT型。Tの字の横棒の部分がレンズで大きく広がり、長〜い縦棒の部分に乾電池を入れます。単一電池4〜5本ほど入れたでしょうか。
当然のごとく当時はLEDライトではなく普通の電球でしたので電池の消耗は激しく2時間もたなかったんじゃないでしょうか。なので即外しました。重いだけ。
で、夜走るときだけダイナモとライト一体型のをフロントフォークに付けてました。普段外してたのは車体を少しでも軽くするためです。コケたときに壊れやすい代物だってこともあります。

シートステーにはリフレクターが最初から付いてました。
これの性能はかなり高く、自分から発光してるんじゃないかというくらいギラギラに光ってることもありました。たぶんキャットアイ製やったと思います。なので今でもキャットアイ製品には信頼感抱いてます。

その他
鉄製のサイドスタンドがついてました。
重量削減のため普段は外してましたが、必要なときには付けてました。
当時は鉄製以外の選択肢はなかったので他のに交換ということは考えませんでした。

ベルも付いてました。普通のチンカンベル。
これはもっともっと小さくて、すごくいい音で鳴いてくれるベルに交換しました。安かったですが。

フレームのどの部分だったかに携帯ポンプが取り付けられてました。
この当時の携帯ポンプはまともに空気が入りませんでしたので少しでもマシなのをと探してお守り代わりに付け替えました。樹脂製の、フレームと同じ水色のにしました。ポンプとしてはあんまり役に立ってくれたことはなかったです。
一日の行程を終えサドルバッグを外したら、サドルの金具に取り付けるための革製ベルトにこのポンプを通して手提げバッグとして使ってました。これは便利でした。

ボトルは付属してませんでしたのでケージもセットになったTA社のを。当時はTA社以外の選択肢はほとんどなかったような記憶があります。いろんなデザインのがあった記憶もあります。さっきも書いたけど、この自転車(というより当時の自転車はそこそこ高級なの以外)は台座の類はないのが普通やったんでどんなパーツでも金属なり樹脂製なりのバンドをフレームに巻いて台座等をセットできるようになってました。その点は個人的には当時の方が好きです。バンドの分重くなるんですけどね(知れてるけど)。どんな自転車でもだいたいなんでもセットできたんで。

用途
この「エディメルクス」という自転車は、コンセプト的には公道をなるべく高速で走るという目的のために作られたのだと思います。
ですが、ボク本来の用途はゆっくりの自転車旅行なんですよね。だから基本的には旅するための仕様にしてました。本当はキャンプ仕様にしたかったところですが、さすがに自転車の性格が合わなすぎてあきらめました。やはり選択は失敗ではあったのでしょう。でも不思議と後悔はしてませんでした。けっこうこの自転車気に入ったのだと思います。
旅のためのトレーニングとしてロードレースをやってましたのでそのときには旅用からレース用に組み替えて使ってました。当時は毎日のように自転車をいじってましたのでそれ自体はまったく苦になりませんでした。
旅と高速走行の折衷としてファストランというのもよくやりました。と言っても本来のファストランのようにサポートカーがついてというようなのではなく、ひとりファストラン。
ただひたすら長距離をノンストップで走る。あ、信号では止まりますし、食事や休憩はします。もちろん。
だいたい400キロほどのコースを設定して一気に駆け抜けてました。気持ちいいのはたしか。最近改めてそのコースを計測しなおしてみたら600キロ超ありました。おー、かなり走ってたんやなあと自分で感心しました。

でもまあ、あるとき、その途中、真夜中、暗くて気づけなかった路面の穴ぼこに突っ込んで前輪が大破、投げ出された人間も膝が大破して自転車から離れることになってしまったわけですが。
自転車は比較的近場の駅から輪行で持ち帰り、病院にも行かずそのままボクは登山に行ってしまったのでした。あ、ボクは登山歴は自転車レース歴より長く、小学5年の頃からやってまして、コースを走破したら即山登りに行く予定にはしてて、その予定を壊したくなかったんで。
それがアカンかったかなあ、今でも膝の上5センチくらいのところから1円玉を落っことしても脂汗が出るくらい痛いところがあります。
山じたいは普通に登れたんですけどねえ。あっちの方が脚に重力かかるからキツいはずなんですけど。
自転車を修理してから走ってみると長い距離は走れなくなってました。100キロ程度でもう、まともに脚が動かなくなってました。今は連続200キロくらいなら大丈夫ってとこまでは回復してますが、それ以上は難しいでしょう(どちらかといえば故障のせいではなく体力的にですが)。

そうして自転車から離れることになっていったのですが、ちょうどその頃シマノがデュラエースというシリーズを発表し、ようやく海外のパーツに対抗できる国産のパーツが産まれたかという雰囲気の時代。ちょっとのズレでデュラエースを使えなかったなあ、と。まあ、高額やったんでどっちにしろ使えなかったかもしれませんけどね。
当時はカンパニョロを代表として、やはり海外製品の方が圧倒的にいいという感じの中でした。特にハンドル、サドルその他の人間が直接触れる部分の快適さはダンチという印象でした。
登山用具も同様で、けっきょくいいものは海外製品でした。モンベルあたりが似たようなのを安価に出してくれてましたが使ってみると全く別もんで使えないって感じでした(今はかなり品質よくなってるようですね)。自転車もそんな感じ。

・・・さすがにしんどくなってきました。
今日はこの辺で。
次は別記事にするか、この記事を改訂していくか、どっちにするかはわかりませんが。

・・・ここに書き継いでいくことにしました。修正・追加するたびに最初にもってくるようにしましょう。
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